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因幡はかく語りけり

2017

0725
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2015

0102

あけました。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、毎年恒例だった、年末に1年を振り返る企画(?)。
昨年は都合により出来ませんでしたので、年明けの今日、改めて昨年を振り返りたいと思います。

2014年は、
1月に夜行列車「北斗星」に乗って、はるばるきたぜ北海道は札幌、函館。
美味しいものを食べまくる。
特に函館は10年ぶり。
雪の中に淡く光る街灯を眺めながら、住み込みバイトしてた頃の思い出に浸った。

2月、昨年復帰した旦那再びダウン。
2回目の休職へ。
体調が安定せず、不安定な日々を送る。

5月、色々あって旦那の主治医が変わる。
旦那の病名が「うつ」から「適応障害」へ変わる。
治療方針も変わり、今まで対処療法的だったものから、根本的なもの(過去のトラウマ等)と向き合うものへ変更。
トラウマと向き合う=傷をえぐるような面もあったので、とても辛そうであった。

8月、気づけば私は30歳の誕生日をむかえていた。

その後、旦那は躁鬱病の可能性が高いという事が判明し、治療方針も躁鬱病中心へ。
薬も変わり、己の病気も受け入れた事で安定傾向にある。
病気と付き合いながら今後どう生きるかを真剣に考え、現在に至る。

振り返ってみると、2014年は、
恥ずかしながら、私は本当によく泣いていた年だった(笑)
今だから笑って書けるが、
昨年から続く旦那の体調不良の波に、私も呑まれてしまっていた。
そんな中、泣くことでバランスをとっていたからこそ乗り切れたともいえる。
そして、もう一つ、乗り切れた理由がある。

それは、旦那の病気の事を隠さず周りに話していたこと。
ドン引かれてもおかしくない内容なのに、皆温かく話を聞いてくれた。
その後も、旦那さん最近調子どう?って優しく声をかけてくれる。
これだけで、何だか心が暖かく、軽くなりました。
本当にありがたかったです。
夫婦だけで抱えてたら、とうに潰れていたと思う。

旦那自身も家事を頑張ってくれた。
自分の体調が悪いのに、私の心配もしていた。

そんな旦那と、優しい人達に囲まれて、2014年も夫婦としてやっていくことができました。
本当にありがとうございます。

さよなら2014年!
辛くもあり、楽しくもあった、素敵な1年でした!

長くなったので、今年の抱負はまた明日に。












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2014

1221

ご無沙汰しております。

今日は一足早いクリスマス会。
大学のサークル時代の仲間達と学年を超えての集まりでした。
飲み会はちょこちょこあるけど、クリスマス会という括りで、さらにカラオケだったので、いつもとはまた違う雰囲気で面白かった。
美味しいご飯を食べ、クリスマスらしくプレゼント交換をし、幹事が夢だった(?)危なくない王様ゲームをし、盛り上がって終了。
出会ってから十年以上経ってる面子だけど、今日話して、新たに
「この人こんな面あるんだなぁ。」って思う事が何点かあった。

人は深い。知らないことはたくさんある。
むしろ、知ってることの方が少ないかも。

だからこそ、酒や料理を囲んで。
これからも色んな人と色んな話をたくさんしたい。

当たり前のことなのだけれども、改めて気づかされたイルミネーションに彩られた街角。

2014

0525
今日は、高校友人のMの結婚式にお呼ばれ。
齢30近くにもなると結婚式の参列に慣れてきたせいか、あまり緊張しなくなった。
しかし、今回は違う。
友人代表としてスピーチするという大役を仰せつかったのである。
緊張せずにはいられない。
原稿だけは忘れまいと何度も確認し、会場へ向かう。
友人達と控え室で落ち合って、昔話やら今の話に花が咲く。
昔の友人に会うと、気持ちがその時に戻って賑やかになってしまう(笑)
不思議。
式はつつがなく進み、白無垢やドレスに身を包んだMはとても綺麗で。
スピーチの時は緊張したけれども、昔を思い出して泣きそうになったり。
更には、両家がとても暖かい雰囲気でもらい泣きしたりして。
とても心に残る良い式でした。
不思議なことも一つあった。
私と面識がないMの大学友人に、Iですか?って聞かれた。
その方はIの中学時代の先輩で、今日は久々にIと会えるかとそれらしき人を探していたらしい。
それが私だったそうな。
面白い事に、彼女が間違えたIと私は全く同じ誕生日。
性格も結構似てると思う。
同じ年頃の人は8名くらい居たから、
その中で私を引き当てたのかぁ。
同じ誕生日だと、似る事もあるのかなぁと、ふと思いましたとさ。

2014

0518

ご無沙汰してます。
黒兎です。
ぼちぼち元気にやってます。

さて、五月晴れの今日は、フリーマーケットに出店してきました。
小学校の頃に二回ほど経験はあるものの、大人になってからは初。
旦那と二人でえっちらおっちらと、不用品かつ商品価値がありそうなものを担いで会場入り。
レジャーシートを広げ、品物を並べていざ開始!
店構えとしては、まず、旦那が仕事関係で貰ってきた海外物品を集めて、エキゾチックなコーナーを作成。中々怪しくていい感じ。
悪目立ちするのか(?)、ここに立ち止まる人多数。
開始早々、30分足らずでマトリョーシカ×3個が完売。しかし、ここらからが伸びず、苦戦したコーナーでもある。
次に、食器コーナー。
引出物等いただきもの中心。
格安だけど、原価が高いのでフリマの中では値段も高め。
しかし、品物がよく、かつ手頃なペアのコップ類を中心に売れた。
稼ぎ頭商品だったと思われる。
最後に雑貨類。
私の服や、キャンドル、アクセ類、その他諸々。。
この辺は叩き売り状態だったけど、あまり伸びず。

売る気が全く無かった、商品をまとめていれていたお菓子の缶(洒落たやつ)が売れたり、売れると思っていた物が売れなかったり、消費者心理は複雑だなぁと思いつつも3時間のフリーマーケットは終了。
持ってきた品物の半分くらいを売って、約五千円程の売り上げでした☆

夜は、ささやかながら、売り上げ金の一部でプチ贅沢(笑)
部屋も片付いて、家計の足しにもなって、中々よいかもしれません♪








2014

0311

窓から見えたのは、日の丸の半旗だった。

あの日から三年が経った。
去年はこの日が近づくにつれて気分がどんどん重くなって沈んでいるばかりだったが、今年は割と冷静にこの日を迎えた。

この一年の間に、震災の津波にのまれ亡くなり、静かに完結したと思われていた叔母の物語は新たな展開をみせた。
あの日、叔母を救助したという人が名乗り出て、お線香をあげにきたのだった。

きっかけは、被災者を追悼する新聞の連載で叔母が取り上げられたことだった。
その記事が救助した人の目にとまり、驚いて連絡をよこしたのだという。
助かったと思ってたはずの人との再開は仏壇越しとなった。

救助された時、叔母は瓦礫の下から「助けて!家にばあちゃんがいるから行かなきゃ!」と声をあげて助け出されそうだ。
意識もはっきりしていて避難所(病院?)に向かったので、これは助かると思って、救助者は別の人達を助けるべく別れたそうだ。
お線香をあげながら、こうして当時の様子を語ってくれたという。
この話をきいて、
叔母は最後まで生きるのを諦めなかったし、1人さみしく逝ったわけではなかったんだ、と、どこかほっとした自分がいた。

三年前、私は、
祖母と母より先に死なない。と、誓いをたてた。
ネガティブな誓いかもしれないけど、子や妹達を亡くした祖母と母にこれ以上悲しい思いをさせたくないと思ったからだ。
今もそれは強く思っている。

震災で亡くなられた方々が安らかに眠れますように。
そして、一刻も早く復興が進みますように。
ねがってやみません。




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自己紹介:
某機械メーカーに勤める若造です。
趣味は読書。
将来の夢は、ピアノが弾ける書斎を持つこと。
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