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因幡はかく語りけり

2026

0924
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2011

0407

ニュースで、被災地にて祈りを捧げる僧侶の姿が取り上げられていた。
その写真をみて、先日お世話になった葬儀屋さんの姿と重なった。

前のブログに書いたとおり、
叔母を送り出す時にお坊様の予定がつかなかった。
お経をあげてやることさえ出来なくて情けない、と婆ちゃんがこぼしたのを聞いていた葬儀屋が、
私で良ければ。
と、お経を唱えてくれたのだった。


叔母は後日、きちんお坊さんにお経をあげてもらえる事になった。
しかし、誰かのために祈りを捧げる、という行為の尊さに気づかせてくれた
葬儀屋さんのお経もまた、お坊さんに負けないくらい有難いものだと思った。



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2011

0407

今日は新入社員が挨拶にきた。

何だか動作の一つ一つが初々しくて、
微笑ましい♪
私も四年前はこうだったはずだが、
今や五年目・態度だけは十年目、と
開き直る図太い社員になってしまいました(笑)
何事にも真剣に取り組む姿勢は、
私も見習わなくてはなぁ。。

あと、
新人の頃の師匠が大事だ!という話にもなりました。
師匠というか、上司や先輩方ね。
特に上司!
上司の良し悪しで、今後仕事に対する姿勢がだいぶ変わってしまうのではないかと思う。
...残念ながら上司は選べ無いんだけど、
誰か一人でも尊敬出来る人を社内で見つけて、それを目標に頑張ればいいのではないでしょうか。













2011

0403

私が見てきた、福島県いわき市の事を書こうと思います。

祖母宅の地域は、
海岸沿いは津波被害にあったものの、
他は一部地割れ程度に済んでいます。
3月末時点で電気、水道が通っていました。(水道は一時断水してました)
自宅も損壊していないし、原発避難区域の外のため、祖母は自宅で暮らしています。
トイレも汲み取り式だし、ガスはプロパンである事も幸いして支障なく生活しています。
配給は、被災後に二回くらい、不定期にあったようです。主にパン。
近所のスーパーは被災後も営業しているので、食糧に困っている様子はありませんでした。

原発の話。
横浜に一時避難してきた従姉妹達は、
自宅が屋内退避地域にあります。
今は自主避難で、新潟の避難所に落ち着いて居ます。
当分戻れそうにないので、新潟で職を得る事も考えているようです。

原発が落ち着いて欲しい気持ちは皆同じですが、
原発誘致により利益を得ていた地域もあれば、
恩恵に預かることもなく振り回されている、と愚痴る人もいて複雑なようです。

又、原発は地方にとっては貴重な雇用を生み出している事実もあります。
実際、私の親戚にも多い。
原発と福島の関係は、
原発はもう要らない、と簡単に済む話ではないと思います。

これは又聞きなので定かではありませんが、
原発事故を受けて、地元付近の孫請け社員は招集をかけられているようです。
行くか、断れば多分解雇、のニ択しかないそうです。
犠牲になるのは現場の人なのだと、つくづく感じました。

原発関係の仕事はなくなり、
他方に職を求めども、漁業と農業は絶望的。
復興には若い力が必要なのに、
若者離れが加速するのではないか、心配です。

福島のために何が出来るんだろうな。。




















2011

0331

叔母の弔いのため、
福島に再び行ってきました。
詳細は後日。

原発がある大熊町にいた親類にも会った。
農家で、被災する前に、たらの芽やタケノコの収獲を控えていたという。
たらの芽が延びてビニールハウスを突き破り、タケノコが竹林になる。
そんな夢を見た、と寂しげに笑っていた。


************************************

ここからは、きつい描写が入ります。
閲覧注意

【追記】
3月30日、叔母の葬儀の為、再び福島へ。
葬儀といっても、お坊さんがつかまらない為、火葬して骨壷に収めるのみ。

先日書いた、「叔母と思われていたけど、違うと判断したご遺体」。
あれが、やはり叔母でした。
見せられた写真と、記載の体重や身長で叔母ではないと判断したものの、
後日、直接遺体と対面したら叔母だったそうです。
持ち物や服等は残っていませんでした。

叔母の足取りは、残された記録から推測する事しかできませんが、
地震当日に発見され、救急車で搬送されたようです。
その後、低体温症で亡くなったとのこと。
時刻は午後11時50数分になっていました。
亡くなってから二週間近くたって、やっと家族のもとに帰れました。

私が対面した叔母は、棺に納められて、綺麗に化粧された姿でした。
右目と口元に黒いあざがあって、そこから津波で打撲した様子が伺えました。
叔母が飼っていた犬は、最後まで叔母の顔を直視しようとはしませんでした。

荼毘にふする当日。
祖母は、(親が娘を)見送るのが逆だから火葬場に行きたくない、と言って家に残りました。

火葬場には次から次へと人がやってきました。

叔母のお骨はしっかりしていて、崩さなければ骨壷に収めきれませんでした。
頭蓋骨の後頭部には、津波で打撲したのか、ひびのようなものが入っていました。

叔母は、津波でなくなりました。
が、一人で寂しく逝ったわけではなく、救急車で運ばれて、
病院で逝った事がせめてもの救いだったと思っています。

叔母は家族の元に帰れ、弔いを受ける事ができました。
しかし、今も家族に会えずに、瓦礫の下や、冷たい海にいる方もたくさん居ると思います。
その方々が早く家族の元に帰れるよう願ってやみません。

写真は、叔母がいた「いわき市薄磯」という地域です。
足を踏み入れた母曰く「終戦後みたいだった」との事です。
31日の時点で、重機は入ったものの、復興までは遠い道のりのようです。

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2011

0326
ゆっくり寝て、ダラダラしながらDVDを見て。
休日らしい休日を過ごせた。
日常を取り戻せるかな?


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某機械メーカーに勤める若造です。
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