因幡はかく語りけり
2011
昨日、叔母が見つかりました。
家族との再会場所は、残念ながら遺体安置所でした。
そして今、私は福島県の浜通りに来ています。
詳細は後日改めて記したいと思いますが、
津波被害は思った以上でした。
テレビ映像で多少は覚悟していたつもりだったけれど、
実際に目の当たりにするとショックで言葉を失いました。
割れた船の破片。
流された車が、同じく流されて破壊された家の瓦礫に突っ込んでいる異様な光景。
叔母がいた地域は、これ以上に被害がひどく立入禁止区域になっている。
落ち着いたら、献花にいきたいと思う。
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2011
今回の福島行きでは、
叔母には会えなかった。
叔母はあの日、海近くの会社に出勤。
そこで被災し、地震直後に自身の息子に電話をかけた。
そして、消息が途絶えた。
通勤に使っていた車は、少し離れた所で見つかった。
昨日の遺体が、叔母のものではないとした判断材料の一つは、リストカットの跡の有無だったという。
叔母の左手首には、生きる事に惑い、もがいた跡が二本刻まれている。
遺体には、それがなかった。
未分確認に、そういうものも使われるとはなぁ。
その話を聞いた時。
なんだか、とても。
とても悲しかった。
2011
※ここ連日、震災絡みで暗い話しが続いています。
本来、あまり暗い日記は書きたくないのですが、テレビでは報道しきれない事を伝えたいから。
あえて書いています。
今日は、朝早く母と二人でお百度参りに行ってきた。
気休めでも、何もしないよりはマシだ。
日中は出掛けていたが、
母からの電話で呼び戻される。
叔母に似た遺体が発見されたという。
しかし、遺体は損傷が激しく、顔も、歯形さえもまともに照会できないらしい。
着衣はなく、持ち物から身元を確認する事もできない。
そんな状態だから、ばあちゃんだけでは判断できない。
仮に叔母だったとしても、叔母の息子が認めないと引き渡しは出来ないそうだ。(母親である、ばあちゃんでは、何故だめなんだろう?)
叔母の息子は、今、神奈川に避難している。
叔母か否か確認するために、
叔母の息子と、叔母の姉である私の母は福島へ向かった。
叔母が家族と、母親と早く再会出来ますように。
2011
16日、福島のばあちゃん達が避難してきた。
何とかガソリンを手に入れ、飛び出してきた模様。
11人と2匹の生活が始まった。
それから3日たった今日。
ばあちゃんの強い希望により彼等は再び田舎に帰ってしまった。
理由は、
叔母がまだ見つからないことだ。
親戚は皆避難しているから、叔母が見つかったときに連絡をとる先・帰る先が無い。あまりにも、可哀想だ。
娘(叔母)が、こんな状態なのに母親である自分がのうのうとしてられるか!被爆して死んでもいいから帰ります。
と、泣きながら説得された。
誰も、反論出来なかった。
いくら論理的な話を展開したって、
強い感情の前には何も意味をなさないんだと思い知った。
ばあちゃんの家は原発から40キロ。
現段階では、避難範囲には含まれていない。
今の私は、
叔母の安否が早く判明すること、
原発が鎮静化すること、を祈る事しか出来無い。
遣り場のない思いだけが、ぐるぐる回る。