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因幡はかく語りけり

2017

0625
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2011

0331

叔母の弔いのため、
福島に再び行ってきました。
詳細は後日。

原発がある大熊町にいた親類にも会った。
農家で、被災する前に、たらの芽やタケノコの収獲を控えていたという。
たらの芽が延びてビニールハウスを突き破り、タケノコが竹林になる。
そんな夢を見た、と寂しげに笑っていた。


************************************

ここからは、きつい描写が入ります。
閲覧注意

【追記】
3月30日、叔母の葬儀の為、再び福島へ。
葬儀といっても、お坊さんがつかまらない為、火葬して骨壷に収めるのみ。

先日書いた、「叔母と思われていたけど、違うと判断したご遺体」。
あれが、やはり叔母でした。
見せられた写真と、記載の体重や身長で叔母ではないと判断したものの、
後日、直接遺体と対面したら叔母だったそうです。
持ち物や服等は残っていませんでした。

叔母の足取りは、残された記録から推測する事しかできませんが、
地震当日に発見され、救急車で搬送されたようです。
その後、低体温症で亡くなったとのこと。
時刻は午後11時50数分になっていました。
亡くなってから二週間近くたって、やっと家族のもとに帰れました。

私が対面した叔母は、棺に納められて、綺麗に化粧された姿でした。
右目と口元に黒いあざがあって、そこから津波で打撲した様子が伺えました。
叔母が飼っていた犬は、最後まで叔母の顔を直視しようとはしませんでした。

荼毘にふする当日。
祖母は、(親が娘を)見送るのが逆だから火葬場に行きたくない、と言って家に残りました。

火葬場には次から次へと人がやってきました。

叔母のお骨はしっかりしていて、崩さなければ骨壷に収めきれませんでした。
頭蓋骨の後頭部には、津波で打撲したのか、ひびのようなものが入っていました。

叔母は、津波でなくなりました。
が、一人で寂しく逝ったわけではなく、救急車で運ばれて、
病院で逝った事がせめてもの救いだったと思っています。

叔母は家族の元に帰れ、弔いを受ける事ができました。
しかし、今も家族に会えずに、瓦礫の下や、冷たい海にいる方もたくさん居ると思います。
その方々が早く家族の元に帰れるよう願ってやみません。

写真は、叔母がいた「いわき市薄磯」という地域です。
足を踏み入れた母曰く「終戦後みたいだった」との事です。
31日の時点で、重機は入ったものの、復興までは遠い道のりのようです。

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某機械メーカーに勤める若造です。
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